報告の履歴 ペ ー ジ(最新)

自分の携帯の接続不良についてのお詫び

久保洋は、11月下旬の連休前に自分のスマホ(京セラ:BASIO4)

が使えなくなり、皆さんには大変にご迷惑をお掛けし、お詫び

致します(受け取りは可能だですがスーパーでWi-Fiの接続時に、

暗証番号が聞かれて携帯の発信が不能に)。今までのは7~8年

前の古い物で、昨年女房用に用意した同じスマホに昨日の午前

中にやっと変更できた(昨日、JCOMの作業員が来宅しスマホは

戻れたが、メールアドレスなどは、従来のは使えず古い携帯を使った

-若干、問題が残っています-)。やれることにまで制限がある

自分にホッとしたが、年賀状までは手が回らず。

皆さま、良い正月をお迎え下さい

(5日には息子と一緒に女房と面会します)。

 


今年のギター音楽祭への参加と近況報告

 洋は重い脳梗塞にかかり6年半になるが、後遺症に加えて高齢化もすすんでいろいろ苦しむ(時間や空間の間違いに加えてやることにも制限を受け、すべてがゆっくりゆっくりしか出来ず、外部への対応が出来ずにいる)。2月に余寒見舞いを何とか投稿したが、今でも投稿が出来ない状況は続いているが表題のようにギター音楽祭への初めての参加と近況を少し報告する(HPやFBへの投稿も忘れてしまっていて、FBに新規に登録したが従来のがそのまま使えそう。それでもHPとFBともに上手くいくか不安だ)。佐藤寿一先生が教えている道新文化センター・東急教室の受講生のほぼ全員がギターアンサンブルに参加している。添付している写真では、右前列の3人と右後列2人が4重奏の階下段(4番目)の担当で後列右端が自分です(月2回土曜日の-はじめてのギターレスンーに参加していて、4人の受講者の1人は欠席、2人は2番目と1番目を演奏している)。9月10日は近くの札工高校の正門からタクシーで10時前にキタラの裏門から入場し、演奏終了は16時にもなった(ギターと譜面台などの持参が大変だが、帰りは地下鉄とバスを利用)。4thパートに自分の名前も乗っているが、お恥ずかしい話、最下段のそれも最初の部分しか演奏出来できず(女房へのメモには苦労していると話いたが、その他には誰にも話せず。昨年度にも自分の名前があったが観客から見学、今年も出来れば同様にと願っていた。2曲目は行進曲で、観客から手拍子をもらい少し感動した)。女房は7月から病室での面会が可能になり2週間に1回程度に女房の姉と面会する(20分、3人まで)。8月のお盆に短い期間だったが息子と孫2人(高1と中2)と面談が出来た。4年前の6月下旬に指定難病のPSP(進行性核上性麻痺)と診断され、女房のいない生活も5年目に入ったが、周りに助けられて何とか1人暮らし。今年は珍しく80歳になる小学校のクラス会に、生まれ故郷の妹背牛のペペル温泉のコテージに1拍で出かけた(札幌発の2人に同行してもらい、途中の恩師の仏壇や、妹背牛の2年先輩の仏壇にもお参りした)。卒業時は28-29人だったが、今回は男6人、女性3人が参加した。80歳になり自分も女房のいる病院のディケアに通う予定でいる。最近は周りの人にも助けられ、皆さんに感謝と、女房にもメモで周りに感謝を伝えている。なんとか次回も投稿をしたいと思っている。  以 上   

(近況報告の追加です)

前々回の日曜日正午のなんでも鑑定団に中原ひとみがゲスト出演し、昨年亡くなった旦那の江原真二郎の病名が、女房と同じ 進行性核上性まひ だったことが分かった(あっという間で病名が分からなかった?)。

以下に、昔、感性工学で一緒に研究した長島先生が3月13日に亡くなり、メールを見ない魚住先生に4,5ヶ月もかけて封書で報告した文書を公開する(取扱いにはご注意を。自分のことも沢山書かれています)。 

==== ここからが、近況報告の追加部分です。やっと4,5ヶ月もかかって9月2日に封書を出しましたが、6日夕方に電話がありました(魚住さんは声は元気そうで、100歳を超えたお母さんの病院だったようです。以前の肺の手術はなくなり、背骨が悪いと整骨にかかっているようです)。また、7月の上田さんへのメールなどもコメントをして一緒に同封しました。(それにしても、東京の妹さんも時々いて、お母さんの面倒を見ているようです)。はやく皆さんと一緒に会えるようになればと願っています。  

==== 追加部分 ================

=== (久保洋)の下には 署名 をた ==ここまで==

魚住さん       久保です。

なかなか封書で出すことができず、お許しください。

お身体の方はいかがでしょうか(皆さんも、心配しています)。

私も、魚住さんが相変わらず肺の手術を受け続けているのではと心配しています。 

実は、3月13日に長島先生がお亡くなりになりました。早くにご連絡をと思っていましたが、相変わらず、いつものように本当にすべてが遅くなってしまいます(書き始めて数ヶ月にもなります)。広島の中村さんから状況なども聞いていましたが、残念ですね(1昨年でしょうか、感性がらみで講演を依頼したが断られていたそうです。昔のSVBLのポスドク連中は、まだ感性がらみで活躍しているようですね)。原・金木、小野・魚住、長島、久保の4研究室が10億円でしたでしょうか、サテライト・ベンチャー・ラボラトリィを獲得出来ましたが、大学全体からは本当に評価されませんでしたね(特に、私は後で魚住さんから「匠」プロジェクトに誘っていただいたと思っています)。4人で書いた本(感性と情報)で、私は3章をほぼ任されて書きましたが、あとですでにA.ネスの提唱した ディープ・エコロジー-生き方から考える環境の思想(井上有一監訳、昭和堂、初版は2001年3月) が出版されているのを知りショックを受けました(この本では、最後の章に エコロジカルな感性 までが書かれています)。7年近くなる重い脳梗塞になって以来読書はやめていて、1冊は読めなかったこの本、もう1冊は室工大の情報に移籍してから何回も読んだ本(グランドマスター)を1冊ずつ残していました。松本英二さん(シンセメック社長以外、ここ数年、北海道機械工業会の会長を勤めています)の息子さんが訳する本を感動しながら4ヶ月ほどかかって読み終え、1ヶ月ほどで更にこのA.ネスの本を読み終えました。3章目の次世代のパラダイムとしてスローアンドディープを提唱しましたが、この本を読んでいれば伝えることが少し違っていたように思います。松本英二さんの息子の(松本紹圭)が訳した本は グッド・アンセスター-わたしたちは「よき先祖」になれるか-あすなろ書房、2021.9.30発行・ です(10冊以上の本を購入し、皆さんに読むことを進めています。自分のところにもまだ2冊ほどが残っていて、魚住さんのところにも届けることが可能です)。  

長島さん、金木さんとは年賀状のやり取りもしていませんでした。長島さんは確か早稲田大学に所属して研究に頑張っていたようですね。小野先生のお母さんでしたか、葬儀で三笠まで出かけ、途中に長島さんが千歳市にお住まいで一緒に迎えに行きましたね(記憶もだんだんと薄れていくように思います)。金木さんも1年ほど前になるでしょうか、非常に高齢なお母さんがお亡くなりになり、道新のお悔み欄に出ていました。室工大は、空閑学長から来年4月から電気電子の松田さんになるようです。室蘭にも行くことが出来なくなってしまいました。数日前にJAFから新しいカードが届き、ゴールドカード、40年になったようです(室工大にはじめのころの3か月、単身赴任していて、高速道路の苫小牧で鍵を入れたままドアを閉めてしまい、無料になるというのでJAFにはいりました。それから40年にもなるのですね。車は15キロほどの女房のところか近くのスーパーなどにしか使っていませんが、そろそろ限界に近づいてきているようです)。  

私の方は、まもなく7年にもなる重い脳梗塞のあと、2年半前に軽い脳梗塞、今年の脳のMRI検査では以前の脳梗塞に劣化が見られるようです。昨年10月1日に娘と父親の13回忌を終えた1週間後に膀胱炎になり、原因となる前立腺を解消するために年末の12月21日から入院し、蒸気を幹部にあてる手術を受けました(手術はあっという間に終わり、先週から病院には行かなくてもよくなりました)。そのこともあって年明けから食欲が旺盛になり、降圧剤をもらっている循環器病院からグルコースなどの数値が高いと言われ、糖尿病の検査を毎月受けるようになっています(1月末のグルコースの数値は200を超え、以前もこれらの数値は高かったようです)。それでも、これらの数値は下がってきていてまもなく正常な数値にと減量で頑張っています。歳のせいもあるのでしょう、札幌駅発22:30の最終バスに送れそうになり北2条あたりで前面から転倒したり、いろいろなことがおこります(転倒も左足にかなりの打撲傷がありました)。   

女房が自宅に居なくなって5年目になりました。自分の着るものや、家のことは女房に任せる状態だったようです。隣の女房の姉や向かいの女性と路上で話すのは週に数回の状況が続いていて、週に1回は外食に出かけ数軒の店などにお世話になっています。こんな中ですが、小学校のクラス会に6月末に1泊で生まれ故郷の妹背牛に出かけました(札幌発の2人に連れて行ってもらいました。小さな小学校で80歳になる学年は28-29人だったと思います。途中に美唄に住む小学校の恩師-1年前に亡くなった-の仏壇に、妹背牛では2年先輩の仏壇にもお参りしました(先輩は柏中学に2年から越境するとき1年間、下宿に同室してくれました)。クラス会には男が6人、女性が3人集まり、夜中まで話に弾みました。 

女房のことですが、7月からかかっている宮の森病院はコロナがおさまり病室での面会が可能になりました。以来、ほぼ2週間に女房の姉と面会しています(20分、3人までですが)。8月11日から息子が、13日から孫2人が来札し、14日に女房と面会が出来ました。息子からはそれとなくいくつか言われましたが、その中に自分も老健施設に入らないかと言われました(秋になったら、週1回程度で検討してみようと思っている)。16日の早朝に息子たち3人を札幌駅北口まで車で送りましたが、そのあと一日中いろいろなところを歩きました(息子たちと食べすぎたので、1日で2万歩近く歩きました)。最初は路面電車で柏中学(幌南小学校前で場所も移動)や昔の下宿していた近辺を訪ねました。西線経由で狸小路まで、札幌ファクトリィでランチを食べ、次の予定まで時間があったの、久しぶりに映画を見ました(題名-君たちはどう生きるか-で宮崎駿監督の長編アニメーションでした。たまたま知らずに入りましたが、あとで有名であることをしりました)。息子の在宅中に余りにもテレビの音量があわないのに気が付き、アナウンサーなどの声を画面に出す方法を調べました(泌尿器科病院でNHKで見ていました)。驚くなかれ、字幕をオフからオンにするだけで可能になり、ローカルな放送などはだめですが、民放でも沢山使われているのをしりました(これで息子が帰省した時のテレビの問題が無くなりそうです)。  

2回の東急の道新文化センターの初心者ギター教習を始めて4年半ほどになるのですがいろいろ苦労していたり、その他沢山あるのですが、長々と自分のことを書いてしまいました。 

魚住さんはまだお母さんの面倒を見ているような気がしています。そのうちに一度、それも早めにお目にかかろうと思っています。                  (久保 洋)                                           

                    (R5)  2023年9月2日    


私の恩師、沖野教郎先生が逝去されました

2023年12月9日に私の恩師、沖野教郎先生が90歳で逝去されました。    1ヶ月前には電話でお話し、お声はお元気そうでしたのに、残念です。    1969(S44)年4月に修士から沖野先生の研究室の助手に採用され、 

1976(S51)年4月の北大大型計算機センター助教授の採用も推薦頂き、     1977(S52)年3月に沖野先生から工学博士の学位を頂き、     1982(S57)年4月~1年ほど米・コーネル大学にTIPS-1で研究留学ができ、     1984(S59)年1月 室工大産業機械教授への赴任にご尽力頂いた。    (履歴書に示されていますが、自分の就職が先生のおかげでした。)    


 

    余寒見舞い申し上げます 

暦の上では春とはいえ、厳しい寒さが続きます。

  皆様はご健勝でお過ごしでしょうか。

  おかげ様で私どもも別々ではありますが、何とか元気で過ごしております。     気忙しい時期ですが、どうぞお健やかにお過ごしください。                                                                                                                     2023年2月吉日

我が家の近況報告:

 洋は重い脳梗塞にかかり6年に、しかし後遺症に苦しむ(時間や空間での間違いが多く、やることにせも制限をうけ、すべてがゆっくりしか出来ない)。昨年10月1日に父と娘の13回忌の法事を行こないホッとしたが、3年ほど前から前立腺肥大で病院、その一つで10月9日に尿閉に、肥大解消で12月23日に手術、26日に退院した(連絡不十分をお許し下さい。前立腺肥大を最近の水蒸気レジュームで初めての手術、短時間で終わった)。手術の1ヶ月後に膀胱の検査を受け、自力で小水が出せる様になる。則子も一昨年の6月下旬に医師から指定難病のPSPと診断され、3ヶ月後に老健施設、一昨年11月に同じ施設の病院に入院した。最近、PSPはパーキンソン症候群の中の1つと分かり、息子からは新しい治療方法の情報を聞き、同様な新しい治療方法を期待する。則子は4年前の大晦日に初めて1週間手術で入院(急性硬膜下血腫)、夫婦別の4回目の正月を迎えた。別々だが周りの皆さんには大変にお世話になり感謝する(このような状況では年賀のご挨拶などは最後になりそうで、HPやFBへの投稿は続けたい)。


 

近況報告 2023年1月1日    久保洋の年賀状などです

 

以下は新年のご挨拶の状況です。

我が家の近況報告で後述しましが、洋の手術などで昨年は年賀状は作れませんでした。

恩師や親族なども含め、皆さんへの年賀状は明日以降になります。

 

===== ここから年賀状です  

謹賀新年  

   ご無沙汰を謝し、皆さまのご健勝とご多幸を祈念します  

                               令和五年元旦

皆さま,本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年賀状も添付しましが、以下の我が家の近況報告では、括弧で少し詳細化をしています。

 

 

我が家の近況報告:

 洋は重い脳梗塞にかかり6年になるがまだ後遺症に苦しむ(時間や空間での間違いが多く、やることにせも制限をうけ、すべてがゆっくりしか出来ない)。昨年10月1日に父親・實と娘・奈津子の13回忌の法事を行こないホッとしたが、3年ほど前から前立腺肥大で病院、その一つで10月9日に尿閉にかかり肥大解消で12月23日に手術、26日に退院した(やり取りする数人にしか連絡できず、妹たちなどにも年が明けて連絡し、多くの皆さんに連絡できずお許し下さい。前立腺肥大を最近の水蒸気レジュームで手術、洋には初めての手術で短時間で終わりました)。則子も一昨年の6月下旬に医師から指定難病のPSPと診断され、3ヶ月後に老健施設、一昨年11月に同じ施設の病院に入院した(面会は再度中止にになっているが、昨年の年賀状の近況のように元気にしている)。最近、PSPはパーキンソン症候群の中の1つと分かり、息子からは新しい治療方法の情報を聞き、同様な新しい治療方法を期待する(病院ではいろいろお世話になっているようだ)。則子は4年前の大晦日に初めて1週間手術で入院(急性硬膜下血腫)、夫婦別の4回目の正月を迎えた。周りの皆さんには別々だが大変にお世話になり感謝している。このような状況では年賀のご挨拶は最後になりそう。何とかHPやFBへの投稿は続けたいと思っている。  


近況報告  2022年8月8日  日本では電力へのソフトウェア化が

何故使われないのか?

HPやFBにも投稿できない状況が続くが、その前に下記を皆さんにお知らせします。

  「日本では電力へのソフトウェア化が何故使われないのか?」 

大学の現職時代、15年~20年前、アメリカの山岳時間帯で大きな2つのテストが行われた

(場所も覚えていませんし、数千戸からなる電力へのソフトウェア化が実行され,その後

10倍くらいの都市でも実行されたはずで、アメリカ全体での利用になっているようです)。

電力のソフトウェア化とは、各家庭の電力が全体の電力にまとめられ、各種機能が実現さる

(いろいろなことができるようになるようですが、夜間の電力などを安く使えるようです)。

ここからは推測ですが、アメリカでは各家庭には強力な直流の蓄電池があるようです

(日本での車からの交流ではなく、アメリカでは各家庭での車への直流を喜んだようです)。

日本では、誰もこの電力へのソフトウェア化が表に出てこないのが不思議でなりません。

実は、日本の電力には全くこのような機能がありません(おそらく、アメリカの各家庭には

これら直流の蓄電池を利用したシステムになっているのではないでしょうか。)

最後に皆さんに自分への連絡はご不要に願います(5年前の脳梗塞などと高年齢のためです)。

 

近況報告 2022年1月4日      久保洋の年賀状です

 

新年のご挨拶を下記に示します。

 

我が家はいろいろ大変なことになっています。

女房の難病が昨10月に再継続、翌日長期滞在できる病院に入院した。

女房が自宅に帰ってくることがなくなったのは自分にはショックです。

(私は終活を始めたのに、どちらが先になるか分からなくなりました。)  

 

メールアドレスも以前と変わっているのにご注意ください。

(パソコン類や携帯のコードなどにトラブり苦労しています。)

Facebookも以前のように使えなくなり、年賀状だけの投稿を試みます。

 

それにしても、昨年は2月に余寒見舞いと4月15日の近況報告の2回

しかできませんでした。6月に室蘭の親友がお亡くなりになり、女房の

家族申請や特に難病申請などにも苦労し、11月からのauの受信拒否に

も驚きました。今年はもう少し近況報告をしたいと思っています。

しかし、自分のやれることに制限があり、それもゆっくりしかできず、

すべてに遅れてしまいます。ギターも道新文化センターに通っていま

すが自宅では前日からしか練習もできない状況です。 

 

メールによる年賀状も、4日にもなるのにまだ教え子たちなどへはこれ

からになります。 

皆さま,本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

===== ここから年賀状です  

あけましておめでとうございます 

    ご無沙汰を謝し、皆さまのご健勝とご多幸を祈念します  

                             令和四年元旦

  以下に二人の写真を添田年賀状も添付します

我が家の近況報告:  (年賀状の我が家の近況報告とほぼ同じ)

洋は、あと少しで重い脳梗塞になり5年に、まだ後遺症に苦しむ(場

所と空間での間違いが酷く、やることにも制限されるなど)、自分の

HPにも投稿できない状態だが以前の状況も見て欲しい(庭の草木

や燃えないゴミ、それに女房の書類など大変だ)。則子は3年前の

大晦日に入院し(近くのスーパーの帰りに異常に転び翌日病院へ。外で

転んだり自転車でも転んだりして則子担当の冬囲いもできないこ

とに洋が気が付け)、その後6月下旬にふらつきで病院へ、PSPと

言う指定難病と診断される。3ヶ月後に病院から直接老健施設えん

に入所し、コロナで遅れたが前の病院で昨年10月13日に再度PSP

と診断、その翌日に同じ場所の長期滞在できる宮の森病院に入院し

(11月の連休に息子が2年振りに帰省して面談、病状の進行を心

配する)。写真はその前に面談した際の二人(則子は元気です)。

メルアドが11月から変更になっのでご注意。洋は外への活

動はやめて最新はギターの受講を始めた。二人別々の3回目の正

月を迎えが、皆様の助けを借りながら、孫たちの成長も楽しみ、

二人でお互いを励ましながらもう少し頑張りたいと思っている

(この年賀状が最後になりそうです)。  

[   ここはコメント欄でした   ]    

060-0020 札幌市中央区北20条西15丁目7-8  久保洋・則子

電話 011-577-2323     洋URL https://www.kks-lab.com

-携帯 090-62104877   -ルアド hiroshi395kubo@gmail.com 



近況報告 2021年4月15日

近況報告(我家の近況、自分の健康や最近の感想、お勧め室蘭の映画・その他)

(我家の近況) 余寒見舞いを出したあとに老健施設のコロナ問題が終息、リモート会話で2週間前に隣の姉と事務室で端末を借りて話をした。15分くらいと思ったが5分ほどで終った(元気そうで安心。外部からの刺激も必要と1~2ヶ月に一度は会おうと思う)。年賀状を120枚ほど、喪中の葉書も10枚ほど頂き、その2倍ほどを教え子などにもメール中心に送った(メールで時間かかる)。先々週、やっと最後の封書(写真添付)を出し終わり、ホッとする。沢山の連絡も頂くが、先にこの近況報告をすることにする。女房が自宅に不在になってほぼ2年に、自分で料理をした10日間ほど女房の指示でほうれん草の湯通しなどを教えられた(2階の寝室から1階にも降りれた)。最初は戸惑ったが週一は外食、週一くらいに隣の義姉からの差し入で過ごす(またたまに頂くものや先日は広島からの差し入れなどに感謝)。食事は少し慣れてきて、朝食は最初にキムチ毎回ではないがソーセージ類と卵、納豆、梅干し、海苔、それにパン、牛乳・シリアルかお餅などを、昼食はカップ麺などを、夕食はスーパーなどに行くときは弁当類を、その他は魚類か肉類、それに牛丼・中華丼のたれやカレーライスなどに餃子などの副食を付ける。嫌いだった納豆・梅干しやカレーライスなどを食べるようになり、私が先と決めて終活もしているが少し長生きができるかも(自分の健康や感想などは後述)。庭には雪が無くなり、少しだが春への準備を始める(庭も女房任せで2年間は冬囲いも出来ず)。庭にあったバラのアーチは古くなって壊れ、再度購入予定。隣家に伸びた梅の枝を切ったが蕾が沢山あり可哀そうだった。久し振りに、夏には孫たちが来てくれないかと楽しみにする(上の孫也は中2、下の孫は小6になった)。 

(自分の健康や最近の感想) 4年前の脳梗塞の後遺症に苦しむ(言語中枢が破壊され、その後の出来事は記憶されていないようだ)。さらに、教え子たちも忘れていくようだ。3ヶ月毎の脳神経内科の主治医からは脳の機能は少し回復していると言われるのだが(2年ほど通院で通った言語リハビリの先生が一番自分の状態を理解していたのではと思う。お恥ずかしい話銀行が15時で閉まることなど沢山の当たり前のことが記憶にない)。空間と時間についていつもおかしくなり注意しているのだが、何かあると迷子になるような気がする。周りから普通に見られるが、できることに制限され、それも順に一つずつゆっくりゆっくりしかできない。12年前に室蘭から札幌に引越し、歯科は通院中でなく2~3年して大学時代の友人の薦める歯科に通う(3か月ごとにチェックを受ける)。内科の降圧剤と皮膚科の尋常性乾癬は通院中で、前者は近所の人が通う1キロ弱の病院に女房と通う(女房の高血圧は先天的だが、自分は40歳代は低血圧だった)。皮膚科は分からず北大病院に行ったが怒られて数回で個人病院に、現在は近くの脳梗塞と同じ病院に月1回ほど通院する。脳梗塞の退院後、半年くらいして目がおかしいと友人の医者に相談してエルムトンネルの先1キロ弱の眼科にかかる。年を取ると遠視も遠くがボヤケルことが分かり眼鏡を作る。このとき、両眼に白内障と右目に黄斑前膜の疑いがあると3ヶ月ごとに診察と受けていたが、落ち着いたと次回からは半年ごとにる。また、昨年暮れにあまりにトイレが近いのではじめて泌尿器科にかかったが、問題がないかもしれない(通院はしているが、最近は夜中のトイレは熟睡して3回以下になった)。前後して暫く使っていなかったJCOMの機器が取り替えられて昔室蘭で観ていたDiscoveryチャンネルを見始めた。またBS日テレ2チャンネル(142?)の歌謡曲同好会のローカル線(下館から茂木までの真岡鉄道)とシーリングデイズの猫(それぞて普通日で各1時間)を観るようになった(新年度4/1に両方ともり、前者は小湊鉄道、後者は熱帯漁やクラゲなどになった)。Discoveryは車修理が多いが最近は非常に多彩な放送を見れ日曜20時からの宇宙シアターも面白いが、同じ時間にBS11チャンネルでディスカバリー傑作選が放映される(前回は解明!宇宙の仕組みだった)。寝室でBSも観たいと1.6万円のテレビを先月に購入、未使用だったDVD機器も見れるようになった(USBでの録画も考えている)。 

(お勧め室蘭の映画・その他) 室蘭有志がNPOを作り映画を5年以上かけて作成した。モルエラニの霧の中監督(・脚本・音楽)坪川拓史、キャストなども市民が多数参加(NPOの会長は室工大卒の私の友人、亡くなった娘の友人も中心で参画しその仲間も多い)3年ほど前に狸小路5丁目北側のサツゲキで試写会を観たが感動して涙がでた(寄付は1万円と少なかったのだが)。3月12日で東京の岩波ホールでの上映が終了その他でも上映が始ま(ユーチューブで予告編も観れる)。4月2日からはディノス室蘭と札幌サツゲキで上映中、私は3日に観たが今回は泣かず(それでも桜の木の下で散骨する姿には感動した。上映は3時間40分以上)。冬から始まり初冬の章まで7章、喜劇の亡くなった小松(政夫?)も夏の章に出る(伊達に隣接した香川町の桜が何度も出て素晴らしかった)。私は学生と助手時代にクラシックギターを通信で勉強したが、昨年4月から道新文化センターで2週間に1回の初心者の講習を受講し始めた(昔、禁じられた遊びに魅せられて、アメリアの誓いも少しだが練習した。10数年前に娘用に500円のDVDを10枚ほど購入し、禁じられた遊びもその中に入れて50年振り?に観た。昔の私のギターはその後娘が使い、よくカーペンターズの曲を歌詞なして歌ったのを思い出す)。最初の教本が終り、先生からクラッシックは諦めて演歌を教えて貰っている(最近、徳久広司に凝る)。前回、講師の先生から左人差し指が痛いと話すとばね指と言われる(専門の友人に尋ねると、処理は無理そうだ)。車については、友人は止めることを薦めるがこれから車検に出す(今年の誕生日に免許証も更新予定)。女房のところには車だと30分ほどで行ける(公共では片道小一時間かかる)。知っている道しか、それも20キロくらいしか走らないことにしている(女房の送り迎えができるようになればいいのだが)。これから、余寒見舞いに連絡いただいた皆さんにできるだけ感謝のリプライを考えている。  


近況報告 2021年2月吉日(遅くなりました)

 追加:年始から2月下旬まで老健施設でコロナの発生がありましたが終息し、

   面会はまだできませんが、リモートでの面会ができるようになりました。


近況報告 2020年10月8日

近況報告(我家の近況パソコンで苦労個人事業の廃止・その他)

(我家の近況) 7月1日以来の久し振りの近況(やれることに制限があり、それもゆっくりしかできず)。まず初めに女房について、1昨年の年末に慢性硬膜下血種で入院、両親とその後父がディケアでお世話になった老健のケースワーカーなどに介護申請を依頼し要介護1に、今年の再審査が6月にあり要介護4になった(昨年10月から難病指定・進行性核上性麻痺に)。再審査は老健で行われ、自分には2ヶ月ほど経って理解し驚いた。コロナのせいで面会禁止が続いたが一部解禁、8月上旬に5カ月ぶりに面会、今も義姉と再度15分ほど面会した(大変に元気な様子に安心)。10月1日は父の祥月命日、一緒に5ヵ月以上遅れたが母の17回忌の法要を行った(妹3人夫妻だけの簡単なものに:写真)。これも遅くなるが7月23日(祝)の夕方、狸小路近くの地下への最後の階段を踏み外し顔面から転倒、少し離れた洗面所まで歩たが出血が酷く守衛さんが救急車を呼。右瞼の上を5縫った(皆さんに声がけいただき感謝)。頭部にも問題がなく、骨折などしていたらと反省する(歳のせい? もう何があってもと思っているのだが) 

(パソコンで苦労) 自分の専門のつもりがパソコンで苦労。定年後は2台の安いHPノートパソコンを利用しているが、最初のメインのPCが時々シャットダウン、アラートのページを見ても困っていた(古いシステムソフトの更新が必要?)。HP Support Assistant を使っていて、これによるHPの更新で何とか切り抜けた。ハードディスクのバックアップと、個人用フォルダもミュージックとピクチャー(一部ビデオを含む)のバックアップも行った(前者は9GB弱、後者は60GB以上)。セカンドのPCは女房用に1階に置くつもりだが、コロナと7月1日からの要介護4で使えるか心配(今年の暖かくなるとディケアで自宅療養にと願っていたのだが)。メールのOutlookだけに使うWindowsタブレットにLINEを入れる予定(LINEは息子任せだが、自分でも努力と)。スマホに慣れようと思ってもまだ先が見えない(FBへの投稿もまだPCから。やっとμSDをセットし、音楽を聴きたいと努力中)。 

(個人事業の廃止・その他) 9月30日に西税務署で個人事業の廃業が承認され、開設などには行政書士の先生にお世話になった(大学で研究していた「感性工学」を広めようとしたがHPができず実働なし)。西税務署では教わりながらだったが人生の一つの区切りに、これで溜まっていた仕事が少し進む。まずは1月末の昔コーネル大学でお世話になった先生(98歳)へのメールにやっと取り組む(自分のHPに簡単な履歴を追加した)。そして娘のHPもと取り組み始める(はじめて2枚目のMsic&VTRを聴いたが2曲目のSay_Somethingが動作しない。猫耳も聴いた。これから保守不能を通知する)。苦労している小枝・草や燃えないゴミなどは少し減らし、これら溜まったことを少し増やす。前日、ニトリ文化センターのホールを夕方に撮影した(写真:左の側面と横のクレーンの奥にホールの壁が、左の方のホテルの方はもうない)。月2回のギターの受講も伴奏付きの「さくら」を弾き始めた。周りから普通の人に見られるが、3年10ヶ月前の重い脳梗塞で言語中枢が破壊され、2年近く言語リハビリに通院したが先生からは税務署など公的な場所は避けるように言われた。実際に言葉が出てこないこと、詳細なことなどは忘れてしまうなど困っている。内心ではパニックになることがあるが何とか皆さんに助けられながら暮らしている。 

 

 


近況報告 2020年7月1日

近況報告(娘の命日の我家、庭の枯れ葉など、恩師の逝去・その他)

(娘の命日の我家) なかなか近況報告が出来ずにいる(FBはPCからしか投稿できず、またコメントのご迷惑をかけているのではと心配)。今日は娘の祥月命日、早いもので満で10年になる(上の孫の6年後の大学進学は無理でも、あと2年の娘の13回忌はやってやりたい)。女房が居ないが隣の義姉とお寺さんのお経を聞いた(義姉がいつも花を)。娘のHPも今後は追加しないことにする(いづみさん達に感謝。ミーュさんからも電話)。女房も新型コロナがもう少し落ち着けば自宅療養にしたい(友人が心配するがそれまでは十分に気を付けて車は運転する)。数日前に脳血流のシンチ検査を受けたが問題はない(いつも世話になる循環器の先生からは、物忘れは誰にもあり諦めるようにと言われる)。1年ほど前から毎朝5錠の薬を纏めるサービスを受けているが、10分前くらいで飲だか分からなくなる時がある(2ヶ月ごとに日付を付けて重複しないように)。 

(庭の枯れ葉など) 1回、枝・葉・草のゴミの収集があり7月の準備を始めた。それにしても草などが次々と生えているのに驚く。数日前に小枝ばさみやレーキ、除草剤などを購入した(庭の散水はこれから準備。1昨年まではすべて女房に任せていた)。月1回の燃えないゴミも自分のものもあるが、父親の古い物なども少しずつ整理している。鉄パイプなどはできるだけ切るようにするが、これから調べて出来るだけ大型ゴミに出すことに(市からのゴミ収集の資料も時々見ている)。どうも問題は間に合うかで心配になっている。 

(恩師の逝去・その他) 先週25日は女房が1年前に自宅に居なくなった日で老健施設に向かっていたが、大学の後輩から昔の恩師の逝去の連絡が入った。そのあとも1月から会っていない室工大でお世話になった友人宅にもお邪魔しお元気そうで安心した。大学4年生の卒業時(S42)お亡くなりになった田川先生が電気工学科の教授に、沖野先生も京都から精密に着任された(嘉数さんも沖縄から着任。この時代の先生方はほんのわずかになった)。私は学位は論博で田川先生には副査と専門科目の試験を受けた(S51頃、科目名も忘れたが専門科目合格の文書を自分の前で書もらった)。 

1週間に1回は1万歩を歩いて外食に、その他は2回くらい近場に出ているがあとは自宅で過ごす(2週間に1回のギターも受講)。やっと個人事業のマークから猫どもの写真に変更中(まだ個人事業の廃業はできずにいるが)。皆さんに感謝しながら何とか暮らしている。 

 

 

 


近況報告 2020年6月11日

近況報告(チャッキ1周忌の我家、その他思うこと)

(チャッキ1周忌の我家) 随分と久し振りの報告(FBやHPまで手が回らず)。今日はチャッキの1周忌、昨年6月16日にも報告したがやっと娘のHPにも初めてチャッキの1周忌の報告をする(早いもので7月1日は娘が亡くなって10年に、娘のHPの保守も終了予定)。自分のFBとHPのマークも個人事業から別の写真(チャッキとミーコ)に変更する(以前の亡くなった時+骨上げと、2016年3月9日の2匹の誕生日の写真を添付)。女房は暖かくなったら自宅療養とケースワーカーなどにお願いしているが、新型コロナで3月中旬から面会禁止が続きしばらくは遅れる(昨年10月からの難病の審査も1年延期に、娘の祥月命日にも今回は無理なようだ。何とか早めに自宅療養にしたいと)。私も右腕に少しだが力が入るようになった(3年半前の脳梗塞の後遺症は現在も続き一人での旅行は無理だ。物忘れがひどいので月末に脳血流のシンチ検査を頼んだ)。年寄りには10万円は不要と遠くにいる孫達に使ってもらうことにした(上の孫が中学生に)。 

(その他思うこと) 昨年の報告にも書いたように、チャッキの死亡も原因の一つとなって女房が料理が出来なくなり、自分の人生が一変した(入院まで10日間ほど料理は教えられ、寝室も2階まで登り降りした)。それにしても家の外の庭仕事は以前は女房に任せっぱなしで月1回の(枝・葉・草)のゴミの収集は大変な量に(先月も少し出したが今回は家の道路側の雑草取りを実施)。燃えないゴミの収集も月1回で、車庫などの整理に苦労している(農業関係に携わっていた父の残したものの整理も自分でしている)。昨年4月に定年して10年が経ってほとんどの公職からはなれた(友人の一人のNPOの副会長の手伝いも不要に、別な友人が立ち上げた会社の株を少し持つくらいに)。週に1回の1万歩以上歩いて夕食に出かけることの他、2回程度の散歩がてらの買物と1回は女房の施設に面会禁止だが車で物を届けている。右腕の整骨院通いは1週間に1回以上、眼の黄斑前膜の3~4ヶ月毎の検査や降圧剤の2ヶ月毎の検査などいろいろ病院、皮膚科にも通っている(その他はほとんど自宅で過ごす)。ToDoで女房の自宅療養が第一だが終活の項目を少し上に上げた。自分も普通でないのにやることがあり過ぎて困っている(自分も介護申請が必要なのかもしれない)。4月に1回だけ実施してコロナで休止になっていたやさしいギターも先週2回目が開始され、2週間に1度東急デパートに通い始めた。皆さんに感謝しながら何とか暮らしている(月1回の4~5人の集りや、心配してたまに電話してくる友人やメールを頂く先輩もいる)。 

 


近況報告 2020年3月14日

(我家の近況、情報化への苦しみ、8ヶ月を振り返って・その他)

(我家の近況) 2月29日に脳神経外科の主治医からMRIの検査は次回は以前の半年後に延び、その1週間後には神経内科の主治医の診察も受け3年前の脳梗塞は老化も伴っても機能は回復中。、昨年5月の脳梗塞では右半身に問題があり物を持って右腕を動かすと痛む。5年ほど前に整骨院にかかり(頸椎狭窄症の手術は受けず)、今度は逆の右腕で整骨院などにも罹っている。女房はほぼ毎週末は日帰りで(たまには1泊で)自宅に。しかし新型ウイルスの影響で3月3日のPSP検診は延期になり、暖かくなると自宅療養を願う予定で準備中(2月28日から3月15日まで面会自粛中で数日前に文面同じでしばらく面会禁止になる)。高萩に居る上の孫が中高一貫の中学に電車通で進学する(あと6年生きたくなる。孫達も休校で可哀そうだ。茨城県はウイルス非感染なのに)。自分のも遅れているがまずは娘のHPのサポート終了をしたい(1月下旬に昔のアパートにやっとたどり着いたが人が住んでいるようだ)。 

(情報化への苦しみ) スマホでしか使えないCメールとLINE(それも息子任せで)に加えやっとスマホ宛のメールを使い始めた。スマホからは今までのようにFacebookへの記事を書けるようにはまだまだかかりそうだ。(今回はスマホから試みたが文字のコピー&ペーストが分からずPCから。親友の一人はPCを止めてスマホだけに、方向は理解しながら自分にはまだ依存)。自分のHPもほぼ同期して投稿しているのでこちらの方を推奨。新しいWindowsがどうなるかを見れたらいいのだが。 

(ここから文章末までは1日遅れ)8年前に奨学財団の依頼でFacebookにアカウントを作ったが今でも良く分からず、最初から投稿にコメントが常に挿入されたようで皆さんにお詫びした。HPなどで調べて対応を試みたが十分かは不明で、このこともあり近況報告も非常に遅れた。  

(8ヶ月を振り返って・その他) 昨年6月11日に最後の猫が亡くなり女房は大変なショックだったようで現在の状況の原因の一つではと。それまでは自分のディスクワークと車庫での車の保守くらい、その他庭仕事などもすべて女房の指示(枝切なども)で行っていた。以来人生は一変して自分の事をするのはほとんど出来なくなった。本当に自分では分からないことが沢山で、女房は以前は冬は午前2~3時頃に居間で床暖のスイッチをアップに設定していたが、最近暖かくなったのに気がつかず驚いた。(内地はまもなく桜の季節なのですね。孫達のどちらかの入学式に高萩市を訪ね、日立市から茨城空港までの高速バスで素晴らしい満開の桜を女房と眺めた)。お恥ずかしい話、外出の服装なども春が近づき驚いた(後遺症の一つに思う)。さらに最近は気疲れか7~8時間も熟睡するように。終活を気にしながら、昨年4月以降に通販で安いギターを購入したがまだ使えず4月から半年月2回の練習を計画している(女房次第だが)。 

2ヶ月以上の久し振りの近況報告で、非常に積雪の少ない雪まつり、中国からの沢山の旅行者が新型ウイルスの北海道の遠因に思われる。数日前に北側隣に出来た2軒の家の1件目の外装がはじまった。それにしても新型ウィルスが早く落ち着いて欲しい。 


新春のご挨拶を申し上げます

              2020年1月吉日

新春とは言え、寒気の厳しい季節になっております。

皆さまお元気でお過ごしことと推察いたしております。

 

またも1ヶ月半の何時もの近況報告です。

  2020.1.4 近況報告(久保家の近況、ガラケーからスマホに、slow&deep・その他)

女房が正月と2日に1泊で自宅に帰ってきて、ご挨拶が遅れているのに更に遅れました。

 

(久保家の近況) 洋は3年前、室蘭の家が売れた数週間後に重い脳梗塞(心原性脳塞栓)で入院、2年間の言語リハビリ後も後遺症に苦しむ(簡単な計算も出来ず、時間や空間もすぐ間違う。周りから普通に見られるのも苦痛だ)。平成31年の正月中に女房が慢性硬膜下血種で入院、洋は5月の連休中に再度の脳梗塞で入院。さらに女房6月中旬からフラツキがひどくなり料理も出来ず25日から入院(洋は家事が非常に大変なのを理解し、てんてこ舞いの毎日に)。女房は長期入院して9月25日に退院直ぐ老健施設に入所。9月30日で難病(PSP:進行性核上性麻痺)の申請が受理され23ヶ月に1回の診察を受けている。最近は女房は元気になり土日に日帰りだが自宅に(息子の帰省した8月と正月は自宅で1泊)女房は春頃には自宅療養にとケースワーカーなどに相談を始めた。娘が飼っていた猫の最後の1匹チャッキ6月12日に死亡。遠くから孫達の成長(特に上の孫は4月から中学生に)を期待している。 

(ガラケーからスマホに) 昨年11月下旬に今までのガラケーをスマホに替えた(廉価SIMのイオンモバイルに)。暫くはFACEBOOKなどはPCからになるが、Googleの手書き入力や音声入力なども始め、苦労すると思うがカラオケ用の音楽もスマホへと準備を開始した。6月中旬に環境が一変し、孫が小学校入学時にインストールしてくれたヘイディも忙しさで使用を止めた(グループ内で最上位になったのだが)。またスマホは必要なときだけ見ることにしている。今までのデータ通信だけのスマホはそのうちに廃棄にする。FacebookもHPも個人事業用で始めたがそれも昨年4月に廃止し個人用に使い始めた(ロゴは昔の自分に変更予定)。娘のHPも最終の後始末がまだできずにいる。   

(slow&deep・その他) 室工大25年間の専門は、約1/3が機械系(インテリジェントCAD)、残りの情報系でも半分はソフトウェア工学、残りは感性工学(香・響・象・匠の4つ)だった。主観を扱う難しい学問で会話を(視覚やイントネーションが無くなる)言語にすると7%程度に、それを主観で補うのも感性工学の目的の1つ(その人の状態によって会話は異なるようにしたい)。私はこれら情報系を実現するために追加で匠プロジェクトを担当し、10数年前にこれら仲間で「感性と情報(森北出版)」を書き、3章を任されて感性の時代としてスローアンドディープを提言した。スローはスローライフやスローフゥドなどで知られている、ディープはA.ネスの提唱したディープ・エコロジーから取った(数年前にすでに本が出ていたのを後で知り、できれば見たいと思っている)。それにしても専門は忘れてしまったようだ。  

女房の老健施設は15キロほど離れた高台にあり決まった道を使って日中は車で出かける(公共交通では約1時間かかるが車では15分強で着ける)。2年前になるが認知症の検査を受け合格したが時計を描けと言う指示に長針と短針を間違えた(後遺症でこのような多くの事を忘れている)。 北隣の家が8月頃に解体されて2軒の家が新築中、その向いも10月に解体されて新しい家が出来そうだ(団地は昭和37年に出来て57年に)。向いの家は1~2年前に孤独死、その向いの家でも7~8年前に孤独死で家が2軒の家になった。このような状況では日本の将来が心配になる。それでも今のところで皆様に助けられながら2人して何とか暮らしていきたいと願っている  

 

今年も皆さまが幸多い年でありますようお祈り申し上げます。

 


近況報告 2019年11月18日

(女房の退院後など久保家の近況、得意なパソコンで苦労、初雪・本・その他) 

(女房の退院後など久保家の近況) 2ヶ月以上経った近況報告(最近は2ヶ月前後に)。女房は長期入院して9月25日に退院、直ぐ老健施設に入所した。9月30日で難病(PSP:進行性核上性麻痺)の申請が受理されたが、まだ難病ではないと自分は思う(それでも2ヶ月に1回、病院で難病の診察を受ける)。最近は1~2週間に一度、リハビリの目的で自宅に外出、息子が2泊で帰省する時には初めて外泊を計画中、早くに自宅療養にしたい。友達に作ってもらいその後auの代理公開廃止で自分で移植した娘 奈津子のHPも今年の7月で数えで10年に、1匹になっていた猫の死亡の履歴を追加し保守は終了予定でいる。自分の個人事業も(まだ事務的手続は未処理だが)3月末で廃止、それにしても女房の入院以来2年10ヶ月前の脳梗塞の後遺症を特に強く感じる(本当に家事や庭仕事などに加え、身の回りの整理など多くのことがあり、何をするにもゆっくりで少しづつしか出来ない)。 

(得意なパソコンで苦労) いつもOutlookで使用のタブレットが9月下旬にWindows10の最終バージョンに更新。数か月前からセキュリティの完全バージョンへの更新が9月末までとあり、2週間ほどでできると思っていたがタブレットとメインのPC(こちらは直前まで指示なし)に大変苦労した。2台はソースネクストのスーパーセキュリティZEROを使用、1台のサブのPCはZEROスーパーセキュリティ(間違って使っていた)で驚いたことに3台とも同じ環境になった(2台の変更は期限の2日前と1日前に何とか終了、しかし1週間以上の後始末に苦労した。12月1日から2年間のauのガラケーの更新は中止し、とうとうこちらもスマホに変更予定でいる(auには毎月3千円ほど払っていた。いまあるスマホは解約することに)。ウォークマンも古くなり、スマホを(苦労すると思うが)積極的に使う積りでいる。 

(初雪・本・その他) 15日の朝、周りが一面雪景色に(書斎と寝室からと隣の家の写真を添付。1戸建てだった隣家に2軒の家が新築される。さらに17日の朝も5㎝ほどの積雪)。冬支度も女房の指示でたまに手伝っていたが、前回の外出で帰宅したとき松の冬囲いが必要と言われる(息子が帰省したときに手ほどきを受けることに)。両親のもの、娘のもの、自分の資料などはかなり処分したが、これから自分の本の処分をはじめる(世界SF全集、スミルノフの高等数学教程、岩波の基礎数学・基礎工学・情報科学・哲学、情報系の全集や単行本、日本文学、世界文学、さらにダンブラウンは全て所有、その他本が多数)。孫や親族に渡せるもの以外は書籍の収集(毎月23日)に出す前に皆さんへ公開を考えている。耳の劣化で音楽を聴くことは諦め、50年ぶりにギターを購入したがまだ使えずにいる。目も劣化し読書はほぼ諦めているが、ディープ・エコロジーなど何冊かは読みたいと思っている(2007年に4人で本を出版し、その3章でスローアンドディープを提案したがディープ・エコロジーは当時読めなかった)。本当にいろいろやることがあり、終活が間に合うかが心配になっている。 


近況報告 2019年9月5日


近況報告 2019年7月17日

近況報告(女房病状の近況、自分でする家事、Windows10と個人事業の廃業など

(女房病状の近況) 前回の近況報告(6/16)以後いろいろなことがあった(その前前回では自分の2回目の脳梗塞を報告した)。チャッキ死亡のショックもあったのか前回の報告以降、女房のフラツキがひどくなりほとんど家事ができなく(させれなく)なった。10日ほどは教えられて自分が食事を用意したが25日に近くの病院に検査入院、1週間の予定がまだ自宅に帰れないでいる(それでも1週間前に病室の名札のラベルが赤から黄色になりトイレなどは車椅子なしの介護補助に)。自宅に戻ったら報告の予定でいたが2週間以上も過ぎたので一応報告することに(皆さんには全く心配はご不要に)。6月18日の午前中にここの脳神経外科に、午後はめまいクリニックにかかり初めて両先生に会った。日本めまい平衝医学会の推薦メンバーでもある先生からは耳には問題がないと言われ、様子を見て新しい脳神経内科の診察も受けさせてみようかと思っている(友人の医師や尊敬する人の勧めを考慮)。こんなわけで7月1日の奈津子の祥月命日には女房はお詣りできなかった(写真を添付)。早いもので数えで10年になもなり、お心遣いはご不要に願います。 

(自分でする家事) それにしても家事には随分と時間がかかることを理解した。女房に教わってIHIでの魚焼き、ほうれん草などの湯通しなどの料理のあと、祥月命日に居間を中心に大掃除、女房が帰宅できるよう寝室の整理・整頓、そのあとも2階座敷の片付けを行った。外の仕事も平成最後の正月に9日間慢性硬膜下血種で入退院までは女房に任せていたが出来なくなり、スーパーへの買出しもほとんど自分でやっていたが、6月16日ころからは家事への対応で人生は一変した。いろいろやることがあり庭のウッドデッキの修理・塗装もそのままに、昨年夏に購入したプレッシャーキングプロ(圧力鍋)でやっとご飯が炊けるようになりその他の料理も試そうとしている。35年ほど前のアメリカ時代にマンション地下でコインランドリを使っていたが、先日自転車で行けるホワイト急便のコインランドリを見に行った(10キロの洗濯乾燥で千円)。孫が1年に入学する時にインストールしてくれたヘイ・ディも最初の画面が121もう一つの画面が38、しかし終了することにした。  

(Windows10と個人事業の廃業など) 何回か前の近況報告でWindows10の次と間違えた最後の19H1のバージョン1903が2台のPCに数日前にインストールした。いつもの更新、Win7Backup、Cdiskとセキュリティのクリーンアップ、デフラグなどで1日もかかった(この間、メール用のタブレットが機器の共有で使えず。このタブレットの方はまだバージョンが1809のまま)。一度Google手書き漢字入力が無料だとお薦めしたが、最近は音声に寄るインターフェースが普及しているようだ(それにしても私には新しい情報化への対応は難しくなってしまった)。  

個人事業の久保感性サービス研究所も数えで丁度10年の2019年3月31日で廃業することにした(名刺を添付。早めにFBやHPに反映したいのだが遅れている)。自分も2回の脳梗塞、特に2年半前の心原性脳塞栓の後遺症でやることが一つずつ、それもゆっくりしかできないことなどに苦しんでいる(今でも簡単な計算もできないのだ)。自分の所有物などは終活に向けて最後の整理を始めた。あと何年生きられるかだが、皆さんへの感謝を忘れず2人で1人前も難しい状態だが何とか暮らしていきたいと思っている。