久保洋の近況報告など
HPは室工大の洋中心の投稿だったが、家族を中心とした変更を現在も継続して試みている。2024年1/31に我が家の近況報告を、3/3にはその追加報告をしたが、以下はその後の続きです。
今年4/1から面会の制限が解除、朝9時~19時まで、人数の制限もなく土日祝も面会可能になる(今年の6/26に道脳神経外科で指定難病のPSP-進行性核上性まひ-に指定され、6年目に入った。3か月後に老健施設えんに入所し、3,4年後に同じ施設内の長期滞在可能な宮の森病院に入院する。途中1番重い第5病棟から少し軽い第3病棟に変更になり現在に。女房の姉と週一で面会している。1ヶ月ほど前に第3病棟でコロナが発生し、中止は1ヶ月ほど続いたが、現在は面会が可能になる)。今年も6/12に市役所中央区保健センターから指定難病の受給者証の更新申請が届き、9/30までに届ける。それにしても、難病は一段と進行しているようで、昨年末以来点滴による栄養補給になってしまった(一度、短い時間でも自宅に戻してやりたいと願っているのだが)。
実は、自分も2/9に 要支援1 に認定され、7月中にはディケアやホ^ムヘルパーの申請に行く予定でいる(北1条西20丁目の医師会館でケースワーカーが決まるようで、その他のサービスも可能になるようだ。毎週1回は外食していたが、自分のサービスが始まると環境が大幅に変わっると覚悟している)。
少し長くなるが、以下には自分の健康の状況について説明する。今年6/4の午後に毎月受診している札幌循環器の小林副院長に、後期高齢者健康診査を受けた(昨年申請書が見つからず、今年は早めに受診してすでに受診結果も病院から届いている)。この時の先生の話では、夜の尿が多くなり泌尿器科への推薦や、いろいろな相談を受けた。6/25に森林公園駅の友人宅で3,4年ぶりのランチ会をしたあと、翌日から寒くなり発熱する(いつもふらつきがあり、月曜日まで立ち上がれないダウン状態になり、定期の病院にかかるも、追加の検査などはしたが発熱者として特別扱いを受けて先生とはほとんど話ができず。7/1が娘の祥月命日だったが、いつもお願いする納内のお寺にもお参りの中止をお願いした)。実は1ヶ月ほど前から体調が変化し、夜も3,4時間、あるいは5時間も排尿が少なくなり、夜も8,9時間も熟睡できるようになって自分でも驚いている。来週の16日に予約なしで先生に相談する予定でいる(先生は聴診器を見ながら血圧を測るが、少し高くても新しい血圧計で測りたい。現在の自分の血圧計ではいつも200以上になる)。
昨日、道脳神経外科の小柳院長のMRI検査を受ける(ここ4,5年は半年ごとに受診している。先生からは元札幌医大の辰巳先生の話を聞かれる。辰巳先生の手術をしたのを思いだす)。自分の重い脳梗塞の診断も、(h29)2017年1/13でおかしくなり、1/24に1ヶ月入院した
(今回も問題がないようで、半年後にMRI検査を、早いもので、7年半前にもなる)。
FBの皆さん、お手数でもHPでの過去の履歴も見て下さい(下記URLで、サイドバーの近況履歴を)。 URL[ https://www.kks-lab.com/ kks-lab.com でもOKです]
更に最近のPC状況です。3年ほど前にHPダイレクトから5,6万円でWindows11のPCを購入。今年6月に中古PCの宣伝が新聞のチラシで見つかり購入に出かけた。HPの中古PCが税込みで
42,000円程で、その場で2台を購入した(1台は隣りの姉用で、設定などは息子に頼む予定)。中古PCだが HP ProBook-450-G3に相当、実装RAM 8GB,64ビットOS、DVD/CDも装着されていて、現在はこちらが自分の中心のPCになる(自分の使っていた筆まめやWPSなどはソフィトウェアが少し古いバージョンなので、徐々に最新い変更も考慮中)。それにしても新しいLINEなどのソフトには自分では対応できず、息子に教えてもらう予定(最近は、機器の使い方もだんだんと分からなくなって行くようだ)。
長文の拝読、ありがとうございます。
女房が5年前に入所した老健施設 えん の自分担当の介護支援専門官に要介護認定申請をお願いし、昨年末に市役所の介護認定の担当者が来宅、2月9日付けで 要支援1 が認定されました(やっと7年前の言語中枢破壊の脳梗塞で、空間や時間などで頭がおかしいと認められたようです)。落着いたら、週一でデイケア(昔、父親が長いこと通いました)と家庭訪問を1回くらいで始めるつもりです。
女房との面会も女房の姉とほぼ2週間毎に20分病室で会っていますが、昨年暮れから食事は中心静脈栄養(と言うのですね)となり、点滴からの食事になりました(売店からの甘いものを届けれなくなり、病院には2週間毎の面会だけになりました)。PSP(進行性核上性まひ)は一段と進行しているようです。
女房も周りにお世話になっていますが、自分も多くの方にお世話になっています。昨年80歳になり、高齢化も加わってひどい物忘れなどに苦しんでいます。それでももう少し、皆さんに助けられながら、頑張って生きようと自分に言い聞かせています。
昨年末から風邪気味になり葛根湯を、その後自分のコンタックを、続けて女房用の風邪薬を、最後は第2類医薬品の強い薬を使ったが、1/6にいつもの病院で肺の検査、風邪だと分かりました(先週の金曜日に久し振りに外食したが、まだ少し熱があり周りに迷惑かけないよう自重する)。
昨年末に女房に静脈用カテーテルで栄養は点滴になり、PSP(先行性核上性まひ)は進行したようです(食事は中心静脈栄養、と言うのですね)。
日立にいる息子の嫁さんが石川県能登町松波の出身、実家で孫2人は珠洲市の病院の生まれです(数日前から羽田・能登の飛行機が開始され、息子には能登の実家を優先するように伝えました)。
2年後の娘達の17回忌の法事などもしてやりたいと自分に言い聞かせている。
こんな分けで、60数枚頂いた年賀状の後始末が、海外も含めてやっと10通ほどになりました。周りからもいろいろお気遣いを頂ているようで、皆さまには心から感謝しています。
HPには古いPCで新PCに完全移行が出来ず、PWなどで1日遅れる(HPの変更も出来ずにいます)。
右は個人事業の名刺(表)
(2019年3月31日の時点)
(4月1日からは工学
博士以外は削除予定)
右は上記名刺(裏)
当初考えていた個人事業
の事業内容
(1時間当たりの単価を見
積書に記載予定だった)
久保洋の履歴・経歴など (2020.10.5記入:コメントなどの追加を予定)
(写真は50歳代のものです)
01) 1943(昭18)年11月25日 北海道雨竜郡妹背牛町字下メム334番地で出生
02) 1956(昭31)年3月4月 大鳳小学校を卒業、妹背牛中学校に入学(1年次まで)
03) 1959(昭34)年3月4月 札幌柏中学校を卒業し札幌南高等学校に入学
04) 1963(昭38)年4月 北海道大学理類入学(一浪する)
05) 1967(昭42)年3月4月 北海道大学工学部精密工学科を卒業、修士課程に入学
06) 1969(昭44)年3月4月 精密工学科修士課程を修了し同じ学科の助手に採用
07) 1976(昭51)年4月 北海道大学大型計算機センター助教授に採用
1977(昭52)年3月 工学博士(北海道大学)
1982(昭57)年4月~1年4ヶ月 米・コーネル大学に留学
08) 1984(昭和59)年1月 室蘭工業大学工学部産業機械工学科教授
1984(昭59)年11月13日 室蘭の自宅新設(9月末~11月末)
09) 1990(平2)年4月 DC新設・改組再編で情報工学科教授に
10) 2009(平成21)年 3月 定年退職 (半年後に札幌の自宅に戻る)
11) 2010(平22)年 3月31日 個人事業「久保感性サービス研究所」開設
2020(令2)年9月4日 廃止 (ホームページが作成できず事業廃止、HPは個人で使用中)
12) 2016(平28)年12月26日 室蘭の家の売却
翌年1月13日 脳梗塞(心原性脳塞源)発祥 24日に入院(1ヶ月)
現在に至る